中国や韓国から輸入された風水は日本で、独自のものに変わってしまいました。
日本書紀の一文に
『百済の僧・観勒がやって来て、暦、天文、地理、遁甲、方術の書を献上した』
という記述があります。
通説としてここでいう「地理」は風水に違いないといわれていますが、どのようなものなのか明らかにされていません。
明治の近代国家成立にともなって廃止されますが、日本には「陰陽寮」という官僚組織がありました。
初期のその職には「相地」という役割がありました。
次のような記述があります。
『天皇は…広瀬王、陰陽師、工匠などを畿内に派遣して、みやこを造営するにふさわしい土地を視占させた』
―日本書紀天武十三年〈六八四〉条
視占とは、風水にあたるものではないかという説があります。
また平安京は、風水説にもとづいて選地・設計されたといわれています。
平安京に関しては、また別の機会に考察や紹介をしたいと思います。
江戸城や島津家の城も風水的な観点から観たら大変興味深いのですが、また別の記事にします。
歴史的な記録があまりない日本の風水ですが、陰陽道に取り込まれたり、家相や占術の中で独自の進化を遂げたのです。

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